未知の国エリトリアの旅 ~高原都市アスマラと紅海に面した歴史都市マッサワの魅力~

難民キャンプの子供たちと(エリトリア/マッサワ)

難民キャンプの子供たちと(エリトリア/マッサワ)

アフリカ大陸北東部のエリトリアは、「アフリカの北朝鮮」といわれているほど独裁国家として知られる謎の多い国です。現地情報が少なく、外国人が入国した都市から移動するには、観光省から許可証を得ないといけないなど少々面倒な国ですが、国内の治安状況や人々の暮らしは穏やかそのものです。見所は決して多くないものの一般的な観光も可能です。本稿ではそんなエリトリアのうち、イタリアの遺産があふれる高原都市「アスマラ」と紅海に面した歴史都市「マッサワ」のおすすめの観光スポットをご紹介いたします。

独立戦争の悲惨さを物語る「戦車の墓場」(エリトリア/アスマラ)

エリトリア独立戦争の象徴「戦車の墓場」(エリトリア/アスマラ)

エリトリア独立戦争の象徴「戦車の墓場」(エリトリア/アスマラ)

通称「戦車の墓地」はアスマラ市内の米軍カニュー通信基地跡地のすぐ傍にある、廃棄された大量の戦車や軍用車両等が積み重ねられている一角を指します。これらは独立戦争に際して、エチオピア軍の撤退時等に捕獲した旧ソ連製や米国製等の戦車や軍用車両、対空砲などが山積みされたもので、あたりには何の標識も説明もないものの、圧倒的な廃棄兵器の量が30年にわたる独立戦争の苛烈さを物語っています。

エリトリア独立戦争の象徴「戦車の墓場」(エリトリア/アスマラ)

エリトリア独立戦争の象徴「戦車の墓場」(エリトリア/アスマラ)

この戦争では10万人以上の尊い命が犠牲となりました。2000年に和平協定が結ばれ、国連監視のもとで国境画定の協議が続けられましたが、未だに決着を見ず、両国軍の緊張状態は続いています。アスマラを訪れた際は是非見てほしいポイントの1つです。

アスマラのランドマーク「アスマラ大聖堂」(エリトリア/アスマラ)

町のランドマーク「アスマラ大聖堂」(エリトリア/アスマラ)

町のランドマーク「アスマラ大聖堂」(エリトリア/アスマラ)

アスマラ大聖堂は、イタリア植民地時代の1922 年に建てられたカトリックの聖堂で、町のランドマーク的存在です。ロマネスク様式の建物は、この国の多数派を占めるエチオピア正教の教会とは全く違う雰囲気を持っています。レンガの赤が目立つこの教会に足を運ぶと、まるでヨーロッパにやってきたような錯覚に見舞われます。

アスマラ大聖堂内・修道院の子供たち(エリトリア/アスマラ)

アスマラ大聖堂内・修道院の子供たち(エリトリア/アスマラ)

大聖堂のシンボルとなっている、高いゴシック様式の鐘楼は、ロンドンのウエストミンスター宮殿の時計塔(通称ビッグベン)を模したもので、高い建物がほとんどないアスマラで散歩をする際の目印にもなります。この塔にはガイドの案内があれば登ることができ、市街の素晴らしい眺めが一望できる場所となっています。聖堂は、男子・女子修道院でもあり、小学校と共に同敷地内に設置されています。運が良ければ小学校の子供達と交流することもできるかもしれません。

イタリア・アールデコ建築の傑作「アスマラ・シアター」(エリトリア/アスマラ)

アールデコ建築の傑作「アスマラ・シアター」(エリトリア/アスマラ)

アールデコ建築の傑作「アスマラ・シアター」(エリトリア/アスマラ)

「アスマラ・シアター」は、有名な建築家・技師であったオドアルド・カヴァニャーリの設計で1918年に建てられました。特に正面玄関の堂々たる佇まいはとても印象的で、ロマネスクやルネッサンスなど、多様なスタイルが融合されています。

アールデコ建築の傑作「アスマラ・シアター」(エリトリア/アスマラ)

アールデコ建築の傑作「アスマラ・シアター」(エリトリア/アスマラ)

この建物は元々劇場として建てられましたが、1930年代に映画館に改装されました。1957年にハイレセラシエの義理の息子(当時のエリトリア代表)に売却されるまで映画館として営業していましたが、現在は再び劇場として利用されています。1920~1930年代のイタリア植民地時代を忍ばせるアスマラ・シアターは必見の観光ポイントです。

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