【こんな国あります!!世界の秘境】大自然のパノラマと古代文明の十字路 タジキスタンとは?

タジキスタンの見どころは?

シャフリスタン峠

シャフリスタン峠

パミール高原を抱えるタジキスタンは国土の平均標高が3,000mにもなる山岳国家です。そのため雄大な自然がタジキスタンの大きな魅力です。
パミールの山岳地帯ではワヒ族・キルギス族などの少数民族が暮らしており、大自然の中で数百年続く人々の素朴な営みを垣間見ることができます。春から秋にかけて咲き乱れる色とりどりの美しい高山植物も世界中の観光客を惹きつける大きな理由となっています。

タジキスタンにもプロフがあります! 写真はホジェンドのプロフ

タジキスタンにもプロフがあります! 写真はホジェンドのプロフ

自然の美しさのみならず、タジキスタンは歴史上の重要な交易地としても知られています。タジキスタンは中国・インド・アフガニスタン・イランなどを結ぶ、まさに文明の十字路だったのです。

紀元前4世紀、かのアレキサンダー大王による東方遠征は、このタジキスタンまで及んだとされています。そのためアレクサンダー大王にゆかりのある遺跡も多数発掘されているのです。
またタジキスタンはシルクロード交易の中心を担ったソグド人の住む国「ソグディアナ」のあった場所として深い歴史があります。8世紀にイスラム勢のウマイヤ朝により、ソグディアナは世界史の表舞台から姿を消すことになりますが、宗教や民族を超えて積み重なった歴史はタジキスタンならではと言えるでしょう。

タジキスタンの首都 ドゥシャンベとは?

イスマイール・サーマーニー広場の巨大なイスマイール・サーマーニー像

イスマイール・サーマーニー広場の巨大なイスマイール・サーマーニー像

ドゥシャンベはタジキスタンの中でも旧ソ連の面影を残す街です。1961年まではソ連の最高指導者であったスターリンの名前をとってスターリナバードという都市名でした。
ドゥシャンベという名前は月曜日という意味で、月曜日に大きな市場が開かれることからこの名前がつきました。

タジキスタン総合博物館 ソグド人の壁画

タジキスタン総合博物館 ソグド人の壁画

ドゥシャンベの大きな観光スポットを2つご紹介いたします。

1つ目はルダーキー広場に建つ、イスマイール・サーマーニーの像です。イスマイール・サーマーニーは中央アジア最後のペルシャ系の王朝(サーマーン朝)の全盛期を支えた人物です。そのためペルシャ系の人々が住むタジキスタンの英雄となっています。ソ連時代はこの場所に大きなスターリン像が置かれていましたがタジキスタンの独立に際してサーマーニー像に置き換えられました。ちなみにタジキスタンの通貨のソモニは、イスマイール・サーマーニーの姓からとられています。

2つ目はタジキスタン総合博物館です。2013年にオープンした4フロア22ホールからなる立派な博物館でタジキスタンの歴史を石器時代から現代まで解説しています。中でもソグド人の生活を描いた色鮮やかな壁画は当時の生活を忍ばせる貴重な資料となっています。

ウズベキスタンから日帰りでも行けるホジェンドの魅力

アーボブ文化宮殿

アーボブ文化宮殿

ホジェンドはウズベキスタンとキルギスの国境に近いソグド州の州都であり、タジキスタン第2の都市です。幾多の支配者によって様々な国へ編入されてきた歴史を持ちます。

初めてその名を刻まれたのは紀元前6世紀頃。キュロス大王がアケメネス朝ペルシアの北東の境界線として建設した都市としてです。
その後、紀元前329年、アレキサンダー大王率いるマケドニア軍が侵攻し、ギリシア人の入植地としてアレクサンドリア・エスハテ(最果てのアレクサンドリア)と呼ばれ、シルクロードの重要な拠点となりました。
8世紀にはウマイヤド朝とその後のアッバース朝に組み込まれ、サマノイド帝国の一部へ。ホジェンドと呼ばれるようになるのはこの頃からです。
13世紀にはモンゴル軍に制圧されモンゴル帝国の流れを組むティムール朝に組み込まれます。その後ブハラのシェイバニー王朝の時代を経て1866年、中央アジアの大部分がロシア帝国に占領されたため、この都市はロシア帝国の支配下にあるトルキスタンの総督府の一部となりました。1991年まではソビエト連邦の一部としてレニナバードと呼ばれましたが、ソ連解体後はタジキスタン共和国独立に伴いホジェンドに改称し現在に至ります。

ソグド歴史博物館 アレクサンドリア大王の生涯のモザイク画

ソグド歴史博物館 アレクサンドリア大王の生涯のモザイク画

ホジェンドの見どころを3つご紹介いたします。

1つ目はソグド歴史博物館。歴史深いホジェンドを知るには欠かせません。中でも地下のアレクサンドリア大王の生涯をモザイク画で表現した地下のギャラリーが圧巻です。

2つ目はアーボブ文化宮殿。サンクトペテルブルグのペテルゴフ宮殿をモデルとし、美しい彫刻が施された噴水と調和の取れたデザインとソ連時代の職人技が光る豪華絢爛な内装は見事の一言です。館内はソ連時代の歴史や集団農場(コルホーズ)の解説、そして集団農場の設立に尽力したウルホジャエフについての展示が充実しています。

3つ目はシェイフ・ムスリヒディン・モスクとパンシャンペ・バザール。ホジェンドにおいて最も活気を感じるエリアです。モスクとバザールは大きな広場を挟んで真向かいに建てられていますので、モスクで穏やかに行き交う人々を眺めて心おだやかに過ごすのもいいですし、バザールでタジキスタンの人々の日常を垣間見るのも楽しい場所です。

シルクロード交易を担ったソグド人の古代都市・ペンジケントとは?

ペンジケント遺跡

ペンジケント遺跡

シルクロード交易を担ったソグド人の国ソグディアナは現在のウズベキスタンのサマルカンド州とブハラ州、タジキスタンのソグド州に広がって存在していたと言われています。
ウズベキスタンとの国境近くにあるペンジケントはシルクロード交易の要所でした。そのため、ソグディアナ文明を知るための重要な遺跡が多く残されています。

ペンジケントのタジク伝統の家屋

ペンジケントのタジク伝統の家屋

ペンジケントの大きな見どころは2つあります。

1つ目はアンシャント・ペンジケント。ソグディアナの古代都市で、8世紀のイスラム勢の侵略の際に住民が街を放棄したため、比較的保存状態が良い遺跡です 。そのため「中央アジアのポンペイ」とイタリアのポンペイになぞらえて表現されています。遺跡にはゾロアスター教の宮殿や住居の跡などが見て取れ、かつての賑わいを現代に伝えています。

2つ目はサラズム遺跡です。サラズムはタジキスタンの世界遺産の1つで、100ヘクタールもの広大な古代都市の跡です。時代はアンシャント・ペンジケントよりもさらにさかのぼった紀元前3000年頃。この地は牧畜・農業、そして銅の生産地として重要な役割を果たしていたと言われています。歴史ある中央アジアでも最も古い遺跡に数えられています。

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